越前鯖江五万石 ふるさと探訪
王山古墳群・誠照寺照周辺 歴史息づく門前・城下町・・・・街中散策
王山古墳群
市の南部・鯖江台地の南端にある丘陵に方墳・円墳が約50基残っています国指定史跡で古墳公園として整備されています。
王山地蔵
堂内の木造地蔵菩薩座像は市指定文化財です。
鯖江女子師範学校跡
(現鯖江高等学校)昭和3年、福井師範学校から別れて王山上野が原に開校。同年24年の福井大学創設統合まで本県女子教員養成のメッカでした。
駐蹕之遺跡(惜陰小学校)
明治11年、明治天皇が北陸巡幸の際、惜陰小学校を訪れた記念碑です。
萬慶寺
曹洞宗大本山永平寺の直末寺で鯖江藩主間部公の菩提寺。7代藩主間部詮勝公の筆による天井画「風神」「龍神」「雷神」は有名で市文化財です。
屋形稲荷(陣屋・町役場跡)
鯖江藩の守護神として(屋形)内に陣屋稲荷と松葉神社がありました。町役場の建設で松阜神社へ合祀。市施行により市庁舎移転後、「屋形稲荷」として再建されました。
古町公園
ここには大正11年建立の北陸道の「道しるべ」と、清水を三度かけると願いがかなう「願いかけ地蔵」があります。
車の道場(上野別堂)
真宗誠照寺派本山誠照寺別院上野別堂といい、豪族波多野景之が越後流罪の途中の親鸞に当地で初めて教えを請うた念仏道場。親鸞が輿に乗ってこられたのでこの名がついたとのことです。
舟津神社
崇神天皇の御代、北陸を平定した大彦命を祀ってあり、その時放った矢が鯖の尾に似ていたので「鯖矢」と呼ぶようになり、後に「鯖江」になったと言われます。北陸随一の古社で大鳥居は県指定文化財です。
済美の松(惜陰小学校)
明治5年、鯖江藩校「進徳館」が小学校となり、同10年に江戸藩邸の「惜陰堂」の名をとり改名。校門横の松は、道33年現在地に移築されるのを記念して植えられたもので「済美の松」といわれています。
松阜神社
祭神は間部詮房公(間部家の祖)、詮言公(初代藩主)、詮勝公(7代)でその遺徳を偲んで建立。藩別邸「松阜仙窟」があったことから命名。相殿として大彦命も合祀されています。
旧鯖江織物検査所
織物生産が盛んな昭和10年に建てられ、市文化財に指定されています。
植田家長屋門
植田家は代々鯖江藩家老の家柄。今も居室として使われている旧藩時代の面影を残す唯一の建物です。
誠照寺
親鸞ゆかりの寺。真宗誠照寺派本山で越前四箇本山の一つ。御影堂は木造建物では県内最大規模、山門は四脚門で「鳥住まずの門」とも言われ、左甚五郎作と伝えられ彫刻「駆け出しの竜」は特に有名です
弁財天
本尊は、弘法大師が作られた三体の中のひとつで、もとは江戸幕府将軍の宝物であったが、六代将軍家宣から間部詮房公が拝受したもので、その後高崎から村上を経て鯖江へ運ばれたとのことです。
恵美写真館
和風に洋風を採り入れた擬洋風建築で、明治38年に建てられたものです。洋風に見られる擬似大理石手法や鳳凰の漆喰模様の左官技術は見応え十分です。
西福寺
誠照寺本山の良覚上人が開基。元禄2年(1689年)に移されたものが現本堂で、市内最古のもの。特に「火車の七条」物語は有名です。
地蔵橋
長泉寺に36坊あり、織田信長の朝倉攻めで焼き払われ、石仏は谷川へ捨てられました。その後「わが体を踏んで通る者に功徳を与えん」とのお告げから小川の橋にしたというのがこの名の由来です。
ミニ・ホームページのご案内
北陸山代温泉におこしやす
ご家族やカップルで海の幸と貸切露天風呂の宴会プラン
詳しくは山代温泉 彩華の宿 多々見のページを・・・・見てね
山代温泉 彩華の宿 多々見でございます 貸切露天風呂がご好評いただいております どなたでも気がねなく皆様だけで大切な時間をお過ごし下さいませ